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2013年6月4日火曜日

脳と帰納と演繹と



人間の脳のある部分は60歳後半まで成長し続けている - GIGAZINE

という記事をお友達に教えていただきました(・∀・)。


内容は、タイトルのまんまですが、要約してみると、、、

年をとると、以下の能力は低下が見られる。
  • 新しい機械の使い方などの学習能力
  • 短期記憶の能力


が、以下の能力については、若い人より中高年の人の方が高い。
  • 言語能力
  • 推理力
  • 人や情報の信頼性の判断力
  • 状況判断能力
  • 問題解決能力


という感じでしょうか。


以前、「知性とは何か」とか記事書きましたが、ここで言われている「成長し続ける能力」こそが、多分、現代社会における「知性」なんだろうと改めて思いました。


というわけで、ちょっと気になった所を抜き出してノートつくっておこうと思います♪


■年の功と帰納法


引用
中高年の脳は20歳代の人のものより、使用可能な言語の数や個別的な例から規則や法則を見いだす帰納推理力が優れており、また、人や情報の信頼性を見抜いたり、状況を見極める判断力も20歳のときから比べると上昇しているようです。

フムフムなるほど、これが「年の功」の正体かー

そして、帰納推理力!重要ワード、キタ!

もちろん検索すればすぐ出ると思いますが、ここはちょっと自分の言葉で説明さしてくださいw(実はこれがやりたかっただけw

では、参ります!

はいっ!ここ重要っ!
「個別的な例から規則や法則を見いだす帰納推理力」\(・∀・)


○「帰納法」(きのうほう)


英語では“induction”(インダクション)って言います。

図にするとこんな感じ↓

      <法則・一般理論>
       ↑    ↑    ↑
     /    |    \
     /      |      \
   /        |        \
【個別事例 a】【個別事例 b】 【個別事例 c】

(閲覧環境によってはズレて矢印に見えないかもしれませんが)
なんというか、こう、下の具体的な【個別事例】から、上の抽象的な【法則】の方にシューンッって「帰」っていく、集まって「IN」するイメージでそ?

だから、帰って納める「帰納法」、集めて「IN」する「インダクション」!


最初の学習はこういう「帰納法的アプローチ」から出発しないと、頭入らないんすよね~

自分が興味ある事柄とか、日常生活でぶち当たった問題とか、なにか具体的なことから出発して、「これはどうなっているんだ!?」という感じで入って行かないと、そもそもモチベーションが湧きませんw

※ただし、確かな問題意識とか目標とかが既にあって、その学びたい対象が、体系化された情報としてある場合は、この限りではありません(後述します)。ここで言っているのは、飽くまで入り口、入り方の話です。


ちなみに、この逆を「演繹法」(えんえきほう)と言います。

○演繹法


英語では“deduction”(ディダクション)って言います。

図は、上の図の逆で

      <法則・一般理論>
     /    |    \
     /      |      \
   /        |        \
   ↓                 ↓        ↓
【個別事例 a】【個別事例 b】 【個別事例 c】


上の方の法則から下の方の事例に矢印がこう、ヒューン、チュドーンって出て行く、降りていくイメージ。

「演繹」の漢字はなんか難しいから、英語の「deduction」の方がイメージわきやすいです。

響き的に「矢印飛び出るデダクション(出ダクション)!」とかでもいいんですが、

もうちょっと理屈から言うと、「de」は「接頭辞」って言って、英単語の頭につくヤツ、漢字で言うところの「部首」みたいなヤツ。

だから、単語の頭に「de」がついてたら、これは「下降」とか「否定」とかそんな意味かもと推理!(つまり、演繹的アプローチ!)

これで、下降する矢印の図が浮かびますよね!


学校では、具体例、応用例すっ飛ばしていきなり一般的な公式(法則)みたいなことを押し付けられりするから(演繹法的で一方的な教育をされたりするから)、

「は?だから何?」
「いや、どーでもいいんだけど!」
「何でワシがこんなことさせられなあかんねんっ?!ヽ(`Д´)ノ」
ってなりますwww

こんなふうに内心いつも反抗していたのはぼくだけでしょうか?いや、きっと他にもいるはず!
(↑漢文で言うところの「反語」的な何かw)

導入部分をもうちょっと工夫すれば、もっと多くの子らが、最初の難関「興味の壁」を越えられるんではないかと思うんだが…。

(いや、カリキュラム ガー、スケジュール ガー あと、書類地獄ですよねわかります。決して怨んではいませんw)


※さっき上でちょっと書きましたが、あらかじめ特定の対象に興味を持っていて、この分野を勉強したい!っていうのがある場合は、この演繹的アプローチが有効ですよね!

全体像をつかんで、基礎とか原理原則をおさえてしまえば、あとはその派生、応用という感じなので、学習がぐっと楽になると思います!


さて、次っ

■問題解決能力としての演繹法


引用
若い脳は、こうするとこんな問題が起こるなど、起こりうる問題に焦点を置いて考えるようにできていて、一方中高年の脳は、発生したトラブルの解決法を素早く考えることができるとのこと。中高年の脳は、今までに経験した何百万もの帰納パターンが蓄積されている中から問題解決にベストな方法を選んできてくれるので、若い人より高い問題解決力を備えていることが研究から判明しています。

長年の経験で培った知恵から戦略を描き、自在に戦術に応用できると。
つまりこれは帰納的蓄積があってこそ可能になる演繹的アプローチですね!

フムフム。こういうふうに、帰納と演繹の間を自由自在に行ったり来たりできる大人になりたいです。


あと気になったのはココの部分
若い脳は、こうするとこんな問題が起こるなど、起こりうる問題に焦点を置いて考えるようにできていて、

これって…、大人が子どもの失敗を激しく怒るからじゃないかなあ(;´∀`)

まあ、いずれにせよこの部分は、
「若いもんは無鉄砲でー」
「年をとると頭がかたくなってー」
とかの「通説」を裏切る研究結果で面白いです。



■年長者の度量、聞き上手


引用
ストラウフさんの知り合いである企業の役員の話によれば、年齢を重ねてから若手社員に対するコミュニケーションの方法を変えたと言います。特に若手社員と仕事の問題などについて話すとき、役員は全く話さずに、若手社員の意見にウンウンうなずきながら話を聞いて、若手社員が話し終わりしばらくたってから、自分の意見を伝えると、若手社員は納得しやすく、さらに学習力や問題解決力も向上しているとのこと。実は、この役員がとったコミュニケーション方法には、中高年の脳の落ち着きや経験から培った能力が発揮されています。

これは研究結果ではなくて、事例紹介でしょうけど、コレはアレですね!
『論語』で言うところの「耳順」(じじゅん)(「六十にして耳順(したが)う」)ってヤツ!

こういう鷹揚さ、ぜひとも身につけたい!


自分はまだまだほんの若造ですが、これは希望のある話でしたね!(^_-)-☆w

2013年5月12日日曜日

ところで、AMって何の略だ?


ふと気になったので、調べてメモ。

まあ検索すればすぐ出るんですが、記憶に残りやすいように自分なりにちょっと広げてみました。(といってもネタがネタなので、人を選びますけど(^^ゞ)


まず時間のAM


AM=ante meridiem

ちなみに
PM=post meridiem
だそうです。
なんかつづりが英語っぽくないような、、、

meridiem とは - コトバンク

ふむふむ。ラテン語かー。やっぱ「meridiem」は子午線かー。

と思ったのも、「♪:子午線の祀り」は英語では「Meridian Dance」って表記されてたのを思い出したからでした。

(あ、ここで言う「♪:子午線の祀り」は、戯曲の方じゃなくてゲーム「聖剣伝説2」のBGMの一曲のことです。)

ん?でも新しいアレンジアルバム『Genesis』では確か「Mass」ってなってたなー。

マス…?かたまり?大衆?

ここの下の方よく見たら、ソレらしきものがありました。
massの意味 - 英和辞典 Weblio辞書

ああ、多分「ミサ、聖祭」だな。




さて、横道にそれましたw。



次、電波のAM

AM=amplitude modulation
(ェンプリテューd モジュレイション!w)
で、「振幅変調」という意味らしいです。

ところで「振幅変調」って何だ??

ちょっと調べてみましたが、、、
んーー全然わからん…(-_-;)

あー、アレですよ。ほら、ラジオとかに使われる方式。以上!…(;^ω^)

とりあえず、「amplitude」には、「広さ、大きさ、振幅」って意味があるらしいです(amplitudeの意味 - 英和辞典 Weblio辞書)。

で、「modulation」は、「調整、抑揚、転調、変調」ということでした(modulationの意味 - 英和辞典 Weblio辞書)。


ちなみに
FM=frequency modulation
(フリーkウェンスィー モジュレイション!w)
で、「周波数変調」って意味らしいです。

んーー…
やっぱり専門的過ぎる…(TдT)

「frequency」は、一般的には「頻繁」とかですが、「周波数」って意味もあったんですねー。

というわけで、以上、「AM」関連のメモでした。



◆最後に好きな動画を一つ











聖剣伝説2 オリジナル・サウンド・ヴァージョン
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2013年4月10日水曜日

もう一つ。「温泉水滑らかにして凝脂を洗う」を覚えた。


そういえば、『草枕』でもう一個。

「温泉水滑らかにして凝脂を洗う」

白楽天の「長恨歌」の一節らしいです。
あー、なんか高校の頃、国語とか世界史で出てきたような…。

ちなみに全文はWikipediaの「長恨歌」のページで読めます。(詩にしては長い…(;´∀`))


※一応注意
白楽天=「はくらくてん」=唐の詩人・白居易(はくきょい)のことですよ!
(くれぐれも「しろらくてん」ではありません。きれいな三木谷さn…ハイ、スイマセンでしたっ_(._.)_ )

……。

で、

「温泉水滑洗凝脂」


それにしても「凝脂」てww

凝脂というのは、楊貴妃のムチムチプリンプリンの白いお肌のことを指すらしいんですが…
なんだかなー…

なんか現代人の感覚からすると、ちょっと酷い単語に見えてしまってしょうがないw。
(いや、「現代人の感覚」とか勝手に一般化してスイマセンが)
つい、
「凝脂」って、ラードかよ…とw

……。

まあ、昔の人の感覚ではムチムチプr…(ry だったんでしょう。

時代が変われば言葉も変わるってことで。


あ、『草枕』、自分は家に眠ってた古~い文庫本で読みましたが、青空文庫でも読めます。
なかなか骨の折れる作品でしたがw(ちょっと前だったら絶対放棄してた自信があるw)
『坊ちゃん』とか『吾輩は猫である』とかとは全然毛色が違いますから、読む場合は覚悟してどうぞですw

以下は、「えあ草紙」で綺麗な縦書き表示にしたものです。
※なんかブラウザ、Chromium系(ChromeとかIronとか)だと調子悪いみたいなので、他のブラウザでどうぞ

夏目漱石、『草枕』



2013年4月4日木曜日

新しい言葉を覚えた。「蜀犬吠日」


夏目漱石の『草枕』を読んで、新しい言葉を覚えた。

「蜀犬吠日」と「呉牛喘月」。


(追記)
やべ、読み方かくの忘れてたw

  • 蜀犬吠日=「しょっけんはいじつ」
  • 呉牛喘月=「ごぎゅうぜんげつ」

です。
(追記終わり)


意味は、、、

「蜀犬吠日」または「蜀犬日に吠ゆ」(しょっけんひにほゆ)

山がちな蜀の国のあたりは、雨とか霧とかが多くて太陽が出ることが少ない。なので、まれに太陽が出ると犬がビビって、警戒して吠えることから、

自分の無知を棚に上げて、それが正しいものであっても疑って非難すること。
とりあえず自分が知らない、わからないこと=悪だ!!という態度のこと。


「呉牛喘月」または「呉牛月に喘ぐ」(ごぎゅうつきにあえぐ)

南方の呉の国あたりの水牛はいつも暑さにあえいでいる。そんな水牛が、月を太陽と見間違って、早合点して「またかよー」「もう勘弁してー」とヒーヒー(モーモー?)言うことから、

疑心暗鬼と取り越し苦労で((((;゚Д゚))))ガクガクブルブル すること。
もう全てが怖いよ!!と。

だそうです。(自分なりに意訳しましたが、だいたいあってるはず)

うう…なんか、どっちも身につまされるゼww…orz


で、『草枕』の中でこの言葉が出てくる箇所をちょっと引用してみます。
いきなり会話だからアレなので、セリフの前に登場人物名を付けてみました。
(「余」=主人公)


余「どこで御逢いです、東京ですか」
和尚「いやここで、東京へは、も二十年も出ん。近頃は電車とか云うものが出来たそうじゃが、ちょっと乗って見たいような気がする」
余「つまらんものですよ。やかましくって」
和尚「そうかな。蜀犬(しょっけん)日に吠(ほ)え、呉牛(ごぎゅう)月に喘(あえ)ぐと云うから、わしのような田舎者(いなかもの)は、かえって困るかも知れんてのう」
余「困りゃしませんがね。つまらんですよ」
和尚「そうかな」


全編にわたって、すごい気の利いたやり取りが交わされるんですが、中でもここらへんの会話が一番好きかも。
ここに引用はしてませんが、こういうことが言えちゃう大人になりたいはーwと思ってしまう会話がいくつかありました。


もいっちょ、寺から帰るシーンの引用。

和尚「鳩ほど可愛いものはない、わしが、手をたたくと、みな飛んでくる。呼んで見よか」
  月はいよいよ明るい。しんしんとして、木蓮(もくれん)は幾朶(いくだ)の雲華(うんげ)を空裏(くうり)に(ささ)げている。寥(けつりょう)たる春夜(しゅんや)の真中(まなか)に、和尚ははたと掌(たなごころ)を拍(う)つ。声は風中(ふうちゅう)に死して一羽の鳩も下りぬ。
和尚「下りんかいな。下りそうなものじゃが」
  了念は余の顔を見て、ちょっと笑った。和尚は鳩の眼が夜でも見えると思うているらしい。気楽なものだ。

召喚失敗ww

だけど、この寺のシーンいいですよ。
こういう漢文ぽいカッコイイ描写がちょいちょい出てきます。




で、「蜀犬~」「呉牛~」と検索していたら、なんと歌を見つけた!



歌詞が…沁みる。

そう。こういう気分、なりますよ。
でもそれは自分が物知らぬ「蜀犬」だから、なんだよなぁ…多分。

音が、なんか切ない…。

ボカロ曲はあんま聞いたことなかったんですが、いいですね。

以上、「蜀犬吠日」と『草枕』プラスαでボカロ曲の話でした。

2013年3月14日木曜日

『まおゆう魔王勇者』読んだ。ちょっと感想をば


原作の方を読みました。

きっかけは、経済関連の調べ物をしていて、ふと見つけたページで気になったので。
社会科学論ノートからの抜粋 (まおゆうの感想)
ここ、西洋の近代社会思想家お歴々の思想を平易な言葉ですごくわかりやすくまとめてらっしゃるなーと。参考になります!勉強になります!


さて、

魔王「この我のものとなれ、勇者よ」勇者「断る!」まとめサイト

何もかもほっぽり出してすっかり読みふけってしまいました。
だいたい3日ぐらいかけて睡眠時間削って一気に読んだから、目が疲れすぎて、ちょっと体調まで崩してしまってw。でもそれくらいのめり込んでしまいましたよw

読み終えて、ああ、世の中にはこんな素敵なものがあるんだなあ、こんなものを生み出せる人がこの世界にはいるんだなあと、なぜかなんか嬉しくなってしまったですw


自分も「読者子弟(?)」にw


世界史が凝縮されたようなストーリー中に経済学が散りばめられています。しかし、会話だけでよくここまで…。

世界史は好きだったけど、近代史はドロドロだし複雑だし、どうも苦手意識がありました。正直言って、感情的に敬遠していたフシがある。

だけど、これを読むと不思議と世界史も経済学も学んでみようかなって気になります。

いや、歴史、経済のみならず、いろいろ学んで知恵をつけたいなって思わずにいられなくなる!



生きている物語


魅力的なキャラクター達の熱いセリフに何度も何度も揺さぶられました。

こんなに熱いものを感じたのは久しぶり、いや初めてかも。
もちろんそれは自分の経験が浅いからというのもあるだろうけれど、でも途中何度も感動してました。


歴史小説の匂いもプンプンしましたw(特に戦とか交渉のシーン)
こういう雰囲気、ドラクエ+歴史小説とか個人的にツボ過ぎるっw

あ、もちろんドラクエを知らなくても楽しめるはずです!
(もちろん知ってたら( ̄ー ̄)ニヤリとできますw)


それから魔王の回想シーンで出てくる、学問してて感じる限界、無力感みたいなの。あれすごくよくわかるなーっていうか。

反抗と諦めが入り混じったような中二病的厭世観。

でも、そういうのを超えて、敢えて「あの丘の向こう」が見たいと。
いいなあ、すごくいいなあ。

そうだよなー、今、目の前にあるのが、思わず失望したくなるようなものであっても、それは飽くまで過去から現在までの結果であって、未来はまだわからない。

そういえば、「現実主義の陥穽」(丸山眞男)っていうのもあったなー。現実ってのは、日々造られていくものでもあると。

自分も危うく、こういう希望が見出だせずに腐っていってしまうところだったかも。そういう意味でも救われた!きっと作者はまおー様のような人なんだろうな~w

生きている物語は、こうして人の心にダイレクトに働きかけ、動かしてしまう力を持ってるんだなあと思いました。



爽やかな余韻


そしてこの読後の爽やかさ。
ちっちゃい頃ゲームをクリアした時のあの余韻を久々に感じました。
何度もため息をついて空を見上げて呆けていたw(半日くらいずっとw)

そして、改めてドラクエ(なかでもとりわけロトシリーズ)は、現代の古典、神話なんだなあと。(もちろん、天空シリーズも大好きです!)

この物語は、そういう神話の時代の終わりって感じでした。
それはまた、現に我々が囚われている、ゼロサム的で停滞的な世界観の限界とその突破を示唆するものであると思いました。

勧善懲悪を越えて、パターナリズムとオートノミー、タナトスとエロスの相克を経て、ついに世界は新たな段階へと…みたいな。

自分は少し希望が湧いて来ました!



まおゆうオススメっ


なんかちょっと感想文堅くなっちゃったかな~

アニメ、漫画とかいろいろあるようなので、そっちから入ってみてもいいかも。是非気軽に楽しんでみてください!オススメです。

いやあー『まおゆう』好き過ぎる!
また別記事書くかもです。

2013年3月8日金曜日

反発する草w そして再開


さーて、すっかり更新停止していましたが、そろそろちょっと再開してみるかなと。

いやぁ、なんかネタ探ししてるうちに、すっかり毒気に当てられちゃって。

いやぁ、前から知ってはいたけど、ニュースって毎日毎日、犯罪事件の紹介ばっか…

(あ、ここで言う「ニュース」は、マス・コミュニケーション・メディアを通じて配信される、いわゆるニュースのことですけど)

「今日はこんな酷いことが!」
「今日はまたまたこんなに酷いことが!」
みたいな。(いや、もちろんそれが全てではないんですけど)
もうそういうのいいから(´Д`)ハァ…

反発するやら、不快になるやらで、年明けてから2ヶ月ぐらいずっとなんかげんなりしてました(-_-;)

もうほんとニュースってなんなんだろうかー

いや、でも中の人を責める気もないんですよ。もはや個人の意志を超えたそういう装置なんだろうし…。

しかし、こりゃあマジで「メディア・リテラシー」を身につけていかないとアカンなと。

これは「現代におけるリベラルアーツ」
って、いや、(調べてみたら)それは「情報リテラシー」の話でした。自分はまだまだそれ以前の問題を全然クリアできてないってことが、この冬、嫌というほど明らかになりました orz



方針転換

何もニュースだけがネタじゃない!
ネタなんてどこにでも転がってるじゃないか!

これからは、ニュースだけに対する反応じゃなくて、特にこだわりなくいろいろ反応していくつもりです!

考える練習、書く練習、というか
メモ整理、アイディアを文章化してみる練習の場にしようかなと思います。