夏目漱石の『草枕』を読んで、新しい言葉を覚えた。
「蜀犬吠日」と「呉牛喘月」。
(追記)
やべ、読み方かくの忘れてたw
- 蜀犬吠日=「しょっけんはいじつ」
- 呉牛喘月=「ごぎゅうぜんげつ」
です。
(追記終わり)
意味は、、、
「蜀犬吠日」または「蜀犬日に吠ゆ」(しょっけんひにほゆ)
山がちな蜀の国のあたりは、雨とか霧とかが多くて太陽が出ることが少ない。なので、まれに太陽が出ると犬がビビって、警戒して吠えることから、
自分の無知を棚に上げて、それが正しいものであっても疑って非難すること。
とりあえず自分が知らない、わからないこと=悪だ!!という態度のこと。
「呉牛喘月」または「呉牛月に喘ぐ」(ごぎゅうつきにあえぐ)
南方の呉の国あたりの水牛はいつも暑さにあえいでいる。そんな水牛が、月を太陽と見間違って、早合点して「またかよー」「もう勘弁してー」とヒーヒー(モーモー?)言うことから、
疑心暗鬼と取り越し苦労で((((;゚Д゚))))ガクガクブルブル すること。
もう全てが怖いよ!!と。
だそうです。(自分なりに意訳しましたが、だいたいあってるはず)
うう…なんか、どっちも身につまされるゼww…orz
で、『草枕』の中でこの言葉が出てくる箇所をちょっと引用してみます。
いきなり会話だからアレなので、セリフの前に登場人物名を付けてみました。
(「余」=主人公)
余「どこで御逢いです、東京ですか」
和尚「いやここで、東京へは、も二十年も出ん。近頃は電車とか云うものが出来たそうじゃが、ちょっと乗って見たいような気がする」
余「つまらんものですよ。やかましくって」
和尚「そうかな。蜀犬(しょっけん)日に吠(ほ)え、呉牛(ごぎゅう)月に喘(あえ)ぐと云うから、わしのような田舎者(いなかもの)は、かえって困るかも知れんてのう」
余「困りゃしませんがね。つまらんですよ」
和尚「そうかな」
全編にわたって、すごい気の利いたやり取りが交わされるんですが、中でもここらへんの会話が一番好きかも。
ここに引用はしてませんが、こういうことが言えちゃう大人になりたいはーwと思ってしまう会話がいくつかありました。
もいっちょ、寺から帰るシーンの引用。
和尚「鳩ほど可愛いものはない、わしが、手をたたくと、みな飛んでくる。呼んで見よか」
月はいよいよ明るい。しんしんとして、木蓮(もくれん)は幾朶(いくだ)の雲華(うんげ)を空裏(くうり)に(ささ)げている。寥(けつりょう)たる春夜(しゅんや)の真中(まなか)に、和尚ははたと掌(たなごころ)を拍(う)つ。声は風中(ふうちゅう)に死して一羽の鳩も下りぬ。
和尚「下りんかいな。下りそうなものじゃが」
了念は余の顔を見て、ちょっと笑った。和尚は鳩の眼が夜でも見えると思うているらしい。気楽なものだ。
召喚失敗ww
だけど、この寺のシーンいいですよ。
こういう漢文ぽいカッコイイ描写がちょいちょい出てきます。
で、「蜀犬~」「呉牛~」と検索していたら、なんと歌を見つけた!
歌詞が…沁みる。
そう。こういう気分、なりますよ。
でもそれは自分が物知らぬ「蜀犬」だから、なんだよなぁ…多分。
音が、なんか切ない…。
ボカロ曲はあんま聞いたことなかったんですが、いいですね。
以上、「蜀犬吠日」と『草枕』プラスαでボカロ曲の話でした。